8日に始まった9月定例県議会の知事の提案説明。財政危機問題、チボリ問題などで陳謝の言葉が随所に目立ち、頭を深く下げる場面も見られた。「反省がない」と指摘され、私の「動議」騒動まで飛び出した6月議会とは打って変わった様相である。
とりわけ気になったのは、チボリ問題の総括との関係で、知事が各局面で「取り得る最善の選択」と述べたところである。
私の好きな言葉に、「地獄への道は『善意の敷石』で敷き詰められている」という言葉がある。聖書の中に出て来るそうだ。「善意」「最善」という言葉の薄っぺらさ、もっと言えば危うさを示す言葉である。原爆の投下もアメリカは「取り得る最善の選択」としている。
問題は「20年近くも前の岡山時代からチボリ問題を巡る全経過」と「50年の借地計画にもかかわらず10年という短期間での破綻という結果」への知事の責任という問題である。
いみじくも知事はチボリ事業が議論され始めた時代をこう表現している。「当時我が国の経済は、後にバブル景気と称される好況期を迎えており、またいわゆる民活法やリゾート法も制定され、全国各地で民間や第3セクターによる多くのリゾート施設やテーマパークが計画されておりました」・・。
そうなのである。第3セクター方式でのレジャーランド・チボリ事業もこの中の一つなのである。それに無批判に乗った長野前知事や県議会、岡山財界の見識の無さが問われているのである。
さらに言えば、こうした3セクは、バブル破綻後、全国ではいち早く撤収しており、21世紀の今まで引きずっている自治体は岡山をおいて他にない。その意味で、全国の流れが読めず、追加支援までして今日まで引きずった石井知事の責任は大なのである。
もちろん、最後までその終結の足を引っ張った一部財界の責任はもっと大きい。一部マスコミの報道の責任も厳しく問われなければならない。
チボリ問題の総括とは、武田流に言えば「バブル崩壊後の行政のあり方」の問題であり、全国の流れより10年も送れた各関係者の見識の無さがそれぞれ問われている問題なのである。そういう角度から問題を見据えることが必要だと考えるが、いかがか。
とりわけ気になったのは、チボリ問題の総括との関係で、知事が各局面で「取り得る最善の選択」と述べたところである。
私の好きな言葉に、「地獄への道は『善意の敷石』で敷き詰められている」という言葉がある。聖書の中に出て来るそうだ。「善意」「最善」という言葉の薄っぺらさ、もっと言えば危うさを示す言葉である。原爆の投下もアメリカは「取り得る最善の選択」としている。
問題は「20年近くも前の岡山時代からチボリ問題を巡る全経過」と「50年の借地計画にもかかわらず10年という短期間での破綻という結果」への知事の責任という問題である。
いみじくも知事はチボリ事業が議論され始めた時代をこう表現している。「当時我が国の経済は、後にバブル景気と称される好況期を迎えており、またいわゆる民活法やリゾート法も制定され、全国各地で民間や第3セクターによる多くのリゾート施設やテーマパークが計画されておりました」・・。
そうなのである。第3セクター方式でのレジャーランド・チボリ事業もこの中の一つなのである。それに無批判に乗った長野前知事や県議会、岡山財界の見識の無さが問われているのである。
さらに言えば、こうした3セクは、バブル破綻後、全国ではいち早く撤収しており、21世紀の今まで引きずっている自治体は岡山をおいて他にない。その意味で、全国の流れが読めず、追加支援までして今日まで引きずった石井知事の責任は大なのである。
もちろん、最後までその終結の足を引っ張った一部財界の責任はもっと大きい。一部マスコミの報道の責任も厳しく問われなければならない。
チボリ問題の総括とは、武田流に言えば「バブル崩壊後の行政のあり方」の問題であり、全国の流れより10年も送れた各関係者の見識の無さがそれぞれ問われている問題なのである。そういう角度から問題を見据えることが必要だと考えるが、いかがか。



