政治活動: 2010年8月アーカイブ

国労.jpg825日、JR不採用事件の解決報告集会が行われた。

23年前の国鉄「分割・民営化」の際、「国労組合員である」という理由だけで解雇された労働者1047名の問題は、今年49日、「人道的立場からの政治解決」をしており、その報告集会である。

 

 思えば、私が県議になる3年前の1987年の41日からの23年間の戦いである。しかも「国家的不当労働行為」と言うにふさわしい「国家」を相手にした戦いである。

 23年間の間には1047名のうち64名の方が志半ばにして他界されている。むごいことだとつくづく思う。

 

 雇用問題が未解決であることなど、「解決」内容に様々な意見があることは確かだ。しかし・・・私は日本共産党を代表しての挨拶でこう述べた・・・「政治解決である以上、その不十分さも政治の責任と言える。労働者の雇用を完全に保障する政治めざし、国労や地域の仲間と戦い続けたい」・・・。


日韓併合と石川啄木

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韓国併合.jpg822日は、日本帝国主義が、韓国を「併合」してから100年目の年である。「韓国併合」の事実経過が示すものは、それが日本軍による繰り返しの侵略、王妃の殺害、国王・政府要人への脅迫、民衆の抵抗の軍事的圧殺によって実現されたものであり、「韓国併合条約」は、日本が韓国に対して、軍事的強圧によって一方的におしつけた不法・不当な条約であることを示している。

 その1910年(明治43年)8月、東京で作家生活をする石川啄木は「東京朝日新聞」の紙面を見ながらこう詠んでいる。

 

地図の上 朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ 秋風を聞く

 

 東京の8月はまだ猛暑だろうに、啄木はなぜ「秋風」と詠んだのか・・日韓併合の本質とその後の日本の行く末に危惧と不安を感じていたに違いない。

 

 「日韓併合100年」に関しては、様々な議論がなされている。しかし、啄木が「危惧と不安」を抱いたその感性を持って、東北アジアを見据えることが今の我々に求められているのではないだろうか。

(写真は啄木が100年前に見た「東京朝日新聞」の地図


石村キャラバン.jpg東区で県議のバトンタッチをする石村智子さんの「夏のキャラバン」が繰り広げられている。炎天下のキャラバンだが、当然私も同行して「県議会報告」や「石村さんのお願い」のマイクを握っている。

 

 いささかバテ気味だが、「暑い夏、汗を流してこそ、来春桜の花が咲く」とみんなの先頭に立っている次第である。


終戦記念日.JPG815日の終戦記念日、65年前のその日もうだるような暑さだったというが、文字通りの炎天下、石村さんと一緒に西大寺を宣伝カーを走らせ、終戦記念日の宣伝行動を行った。

 

 核廃絶の機運の高まり、日韓併合100年、沖縄の基地問題など現代のテーマが、65年前のテーマと重なり合う中の65年目の815日・・・何か語らねばという思いに駆られての宣伝行動だった。


2週間も延ばすとぼろが出る」と国会で議論もしないで参議院選挙に突入。しかし、国会の議論をしなくても、総理の消費税発言で早速ぼろが出て、惨敗。

 政権後退後、1ヵ月半にして初めての国会論戦が始まろうとすると、最初に出た言葉が「比例定数削減」である。国民の多様な声を反映することを目的とした比例定数の削減は、民主主義の否定である。

 

 被害を直接受けるのは「少数政党」や「新党」である。「消費税税増税反対」を明確に主張したわが党や、政権批判の声を集めた新党は選挙制度上から排除する・・という狙いと言っても言い過ぎではない。

 

 菅直人と言う政治家・・・これまでの自民党以上に危険な本質を持っているのではないか、と思う。

(比例定数削減についての「見解」はホームページの「政策・見解」に掲載 http://takeda.m-cast.jp/index.html

 


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