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4日、高松後援会のみなさんが、片山潜、朝日茂、苅田アサノら郷土の先人を訪ねる企画をしていると聞き、私も途中から参加しました。

訪ねたのは、朝日茂さんは、津山市寺町本行寺の朝日茂のお墓参り、苅田アサノさんは実家の苅田酒造です。

 

朝日茂さんは、国立早島療養所の患者の立場から、憲法25条に保障された「健康で文化的な生活を営む権利」を求めた「朝日訴訟=人間裁判」で有名な人で、日本共産党の大先輩でもあります。

津山市生まれで、寺町の本行寺にお墓があり、お墓の傍には憲法25条を刻んだ碑が建立されています。

 

苅田アサノさんは1949年衆議院岡山一区で日本共産党から立候補し、見事当選を果たした人で、日本の歴史で初めての女性代議士でもあります。

 津山市の苅田酒造の娘さんで、「白バラの君」と呼ばれるほどのオーラがあったと言われています。苅田さんの国会質問を見ると、国の劣悪な生活保護行政や国立療養所の療養生活の改善問題もあり、朝日茂さんの戦いと共通したものを見ることが出来ます(もちろん苅田さんの国会質問は朝日訴訟の数年前です)。

 苅田酒造では、アサノさんの姪に当たる方が、アサノさんの思い出を語ってくれました。「私が苅田家に嫁いできた際に、国会からお祝いに駆けつけてくれ、その時津山駅に降り立った姿は見事なものでした。さすが日本で初めての女性代議士だと思いました」・・。

 

 津山市出身の二人の大先輩の志に触れた有意義な津山行でした。 朝日さん.JPG


大阪市長選挙の結果を受けて、橋下新市長が自分に反旗を翻した市の職員に「市役所を去れ」と発言したり、教育委員に「選挙結果を重く受け止めろ」と恫喝しているとのこと。

 選挙中の争点は「『橋下独裁』か『民主主義』か」でしたが、さっそく「独裁者ぶり」が露わになっています。

 

私たちが「橋下独裁」と呼んでいるその典型は、「大阪維新の会」が大阪府議会に提案している教育基本条例案です。それは、学校教育を知事及び議会の直接的な支配下に置こうとするもので、さらに、知事の目標に服さない教育委員の罷免、教職員への厳しい処罰などの教育への権力統制の体系が盛り込まれています。

 

この条例案に関しては、作家のあさのあつこさんは「上意下達の構造」であり「生きる根っこを切るおそれ」と指摘していますが、全く同感です。

 

フランスの詩人アラゴンの詩の中に「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」という言葉がありますが、教育とはこうした本質的に人間的な営みであり、権力的な統制とは矛盾するものです。その意味で、橋下氏の条例案は教育とは無縁なファッショ的なものといえます。

 

選挙の結果を踏まえ「反独裁ストップ」の共同を広げることが求められています。


懲役36カ月・・長女監禁致死事件の裁判の様子を注意深く見てきました。児童虐待についての関係者の議論も注目してきました。

 

16歳の子どもは死亡し、母親は終始無言のまま・・・母親の苦悩も子どもの苦痛もその心の動きは解らないままの判決に、釈然としないものを感じるのは私だけではないと思います。

同時に、有罪とか無罪とか、罪が重いとか軽いとかではなく、もっと本質的な「母と子」の関係について考えさされています。

 

童謡詩人・金子みすずの詩の中に次のような「こころ」という詩があります。

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おかあさまは おとなで大きいけれど

おかあさまの おこころはちいさい。

 

だって、おかあさまはいいました

ちいさいわたしでいっぱいだって。              

 

わたしはこどもで ちいさいけれど

ちいさいわたしのこころは大きい

 

だって、大きいおかあさまで、

まだいっぱいにならなくて

いろんなことをおもうから。

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 事件の当事者の母と子の「こころ」はどうだったのだろうか・・・想像すると暗澹たる気持ちに襲われてきます。


美しい中秋の名月

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友人の大野さんから先ほど送られてきた中秋の名月です。ご覧ください。 中秋の名月.jpg

遠野昔話村.jpgまず、訂正から。

昨日配信の「いのしし日記」に「国男」「国雄」とかなっていました。正確には「國男」です。文書では「国男」と書いている場合もありますのでそれはお許しいただきたいと思います。

 

 さらに、現在も大活躍中のノンフィクション作家の「柳田邦男」と間違えている方もおられるようですので、ご注意ください。柳田國男は「民俗学の祖」といわれている人物です。

 「遠野物語」は柳田國男が今から約100年前、遠野に伝わる昔話を集めたもので「日本人の心のふる里を考えるうえで手がかりになると言われています。

 

 「遠野物語」は「文語体」なので読みにくく、「遠野に行くまでにはぜひ」と思っていましたが、急がしさを理由に途中止めになってしまいました。

 

 それでもせっかく遠野に行ったのですから「水の精霊」といわれる遠野名物の「河童」の人形を孫たちに買って帰りました。


71日、東区の後援会のみなさんを中心に「武田さん 県議20年 ありがとうの集い」を開催していただいたところ、150人に及ぶ方々に参加いただきました。心からお礼を申し上げる次第です。

 

 とりわけ嬉しかったのは、西大寺小学校・中学校に渡る恩師である岸野洋介先生が駆けつけてくださり、「よく頑張った。これからも健康に気をつけてみんなのために歩み続けよ」との檄をいただいたことです。

 

 「お礼の挨拶」でも申し上げましたが、「吉井川の産湯で育った」といっても言い過ぎではない自分にとって、西大寺をめぐる様々な問題は、私のライフワークでもあります。苫田ダム、下流の赤潮と海苔の色落ち、西大寺を流れる砂川、秋芳川、干田川、千町川の防災対策は生涯の仕事とも考えています。

 

 また、先の選挙では、惜しくも石村さんにバトンタッチができなかった悔しさに触れ、石村さんを今後、若い女性政治家として育てていただくことをお願いしました。

 

 最後に、「議員を辞めたから暇になっただろう」と逆に忙しくなっている毎日の生活を紹介しながら、バッジを外したこれからも東区のみなさんと一緒に歩んでいく気持ちを述べさせていただいた次第です。

  武田英夫 県議20年 ありがとうの集い③.jpg


兎に角、傘をよく忘れることが多くなり、「いよいよ痴呆症か」と思っていますと、ある本の中に、気休めのような解説が披露されていました。

 

 日本では毎年、傘が一億本以上が買われるそうです。傘の忘れ物が多いのがその要因とのことだそうです。

 では、何故日本人は傘の忘れ物が多いのか・・それは日本の雨の降り方に要因があるのだそうです。以下解説によれば・・・

「ロンドンは傘がなくても歩ける霧雨、熱帯のスコールは傘が役立たず。日本の雨は傘がないと濡れるが、その雨が日替わり、週替わり・・」

 

 傘の忘れ物の多さを、日本の気象条件にしてくれており、気休めにはなるのですが、今日もまたコンビニで今月で何本目かの傘を買う自分は、やはり物忘れが多くなったのが原因だと思うのですが・・。


書道会のリーダーだった小野桂華先生が他界された。86歳とのこと。訃報を聞き、21日のお通夜に駆けつけた。10年前くらいの写真だろうか・・遺影のなかの凛としたお顔は、「まだまだ死にたくないの。何とかしてよ」と、先生が時々見せた無邪気で我が儘なそれだった。

 

 書道とは全く無縁な私だが、以前から知己を得て、時々ご自宅にお伺いして、政治談議を交わさせていただいた。入院されて以来、何度か病床の横でお話をさせていただいた。司馬遼太郎作品が大好きで、いつもその話になった。私が、司馬遼太郎の明治時代論に批判的なのを知っていたのか「いろいろ問題があるらしいが、司馬の作品は美しく楽しい」と熱く語っておられたのを思い出す。

 

 3歳で小児麻痺、20歳の時、父親を原爆で失う・・親族の方の挨拶でも紹介されていたが、小野先生はその現実に眼を背けることなく、まっすぐに生きた人だった。いや、私は「戦い続けた女性」だと言うのがふさわしいと思う。

 

 体力の限りを尽くして書いた遺作のテーマは「原爆」とのこと。

そこで、小野先生が若き時代の原爆をテーマにした詩を紹介し、小野先生とお別れをすることにする。

 

苦しみて自らむしりし爪と皮膚 残したる死をまじまじと見き

 

 灰となり砂利となりたる父の遺骨 見たる怒りを何に祈らむ   

 

「歌集・夜の雨」より。合掌


「春雷の 鳴り過ぐるなり 湾の上」(虚子)

 

20日の深夜、駐車場から自宅までの堤防の道には、まるで「暗闇にフラッシュ」のような雷の光と「がけ崩れ」のような轟音・・・自然とお腹を押さえて駆け出す自分の姿に苦笑しながらも、それはまさしく恐怖ゾーンだった。

 

しかし、これが「春雷」と呼ぶのだろうか。翌21日は、春の日差しが吉井川の川面に輝いていた。

 

農村地帯では、「雷」は米の豊作と結びついて伝えられている。「雷」の放電の際に作られる窒素は農作物の成長を助け、その雨は「恵の雨」となる。5月の「雷」、8月の「雷」は稲作に不可欠といわれる。

「雷」と「稲」を夫婦に例え「稲妻」と呼ぶのもその由来とのこと。

 

「備前平野に春を呼ぶ」といわれる「西大寺会陽・裸祭り」から丁度一ヶ月・・いよいよ「春到来」である。


大介.jpg29歳になる長男の大介の看護学校卒業式が6日にあった。卒業証書を受け取る際に、数少ない「皆勤賞」も受け取っていた。「頑張っているな」とは思っていたが、「皆勤」とは全く知らなかった。

 

 実は大介は中学校では「不登校」を「貫徹(?)」している。茶髪での卒業式は未だ記憶に新しい。

その後、不登校問題をテーマにした映画「茜色の空をみたよ」の舞台・岡山県立烏城高校にお世話になって無事卒業。仕事を転々とした後、岡山の精神科の病院に介護の仕事で勤め始めて6年。その間に中学時代から付き合っていた彼女と結婚して、2人の子どもの父親になった。

 

 本人なりに色々考えた結果だと思うが、仕事を休んで看護学校に通うことを決意。働く彼女に家計を支えられ、家事や育児をこなしながら3年の課程を終えての卒業となった。

 

 私がこの長男を誇りに思うのは、「いのちを守る看護士」の職業の大切さや「皆勤賞」のがんばりという意味ではない。

 それは、自分の道を自分で決め、自分の足で自分のテンポで歩んでいることである。これからも、同じように歩んでほしいと願っている。


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